エデンの西の片隅で

140字では足りない時に。

ハコ推しか、担降りか、それとも…~Love-tuneと私・銀座の陣を終えて~

去る5月21日、Love-tuneのジャニーズ銀座(クリエ)公演を観る機会に恵まれた。
当日の昼公演の時点で、突然のメンバー追加・セットリストの変更があり、夜公演を待っていた私達に衝撃が走った。

結論だけを言えば、4人で入るはずだったうちの1人は入らないことを選んだ。それくらい大きな変更だった。

私自身、客電が落ちるその瞬間までモヤモヤしたものを抱えたまま座席に座っていたのだが、いざ始まってみれば、ステージの上でエレキギターを弾きながら暴れ回る自担に夢中になり、あっという間に時間は過ぎていった。

 

それから10日が経ち、Love-tuneは大きなケガやトラブルもなく、2016年のジャニーズ銀座公演の大トリを無事に務め上げた。

そのこと自体は非常におめでたいことであるし、誇るべきことだとも思う。

 

しかし、私の胸中では5月21日以前も以降も変わることなく、言い知れぬモヤモヤが燻り続けている。

不思議なもので、ライブ中はただただ楽しい!が先行していたというのに、終わった直後からまたモヤモヤが吹き出し、Twitterでその日のレポを見ても、楽しかったことよりも気になったことの方が思い出されてしまう。

基本的に入った現場は能天気に楽しむ方なので、このような経験はあまりなく、正直戸惑いの方が先に立っている有り様だ。

 

Love-tuneというユニットができてからずっと消えないモヤモヤ。

「ヲタクは趣味。趣味でストレスを溜めるなんて本末転倒」
「自分が見ていて楽しくないと感じたら、そこが引き際・離れ時」
をモットーにヲタクをしている身なので、ここ数ヶ月はずっと担降りのタイミングと降り先を模索する日々だった。

 

実を言えば、5月21日は真田担最後の日にするつもりでチケットを申し込み、上京したのだ。

何なら会場に入るギリギリまでカラオケでジャニーズWESTのライブDVDを見ながら、「次の担当は顔で選ぶか、歌声で選ぶか、研究材料としての興味で選ぶか」などという不穏な相談を同行者の皆さんにしていたほどだ。

それくらい、Love-tuneというユニットは私にとって素直に受け入れられない存在であり、Love-tuneにいる真田佑馬を今後も変わらぬ温度で応援していける自信などないのが現状である。

 

そんな私が未練がましく未だに真田担を自認しているのは、偏に真田佑馬単独の魅力のなせる技だ。

今年で真田担歴6年目。自担の退所や派閥問題等もあってなかなか長続きしなかった私にとって、ぶっちぎりの最長記録を更新し続けている担当様である。

ジャニーズ規格では少し厚みが過ぎる男らしい体格。
普段の眠たそうなタレ目と寝惚けてるのかと思うほどゆるい言動。
別人のように豹変し、その場の空気を支配する圧倒的な演技力。
そして何より、仕事人としてのストイックな思考と生き様に惹かれてずっと応援してきたし、これからも真田佑馬の仕事ぶりをずっと見ていたいと思っている。

 

だからできることなら、私だってLove-tuneを好きになりたい。

ユニットはハコ推しできる方が何倍も楽しくヲタクをできることは身を以て知っている。

Love-tuneというユニット自体を好きになることが自分の楽しみにも繋がる。

大丈夫、真田がここでがんばると決めたユニットだ。きっと好きになれる。

そう思いながら、この数ヶ月間、少年倶楽部や雑誌等でLove-tuneを見続け、クリエ公演にも入った。

 

それなのに、モヤモヤは晴れることはなく、その原因も分からないままだった。

 

しかしここへ来て、1冊の雑誌のインタビューが私の中のモヤモヤに一つの結論の片鱗を見せてくれた。

 

ダンススクエア vol.13 (HINODE MOOK 39)

ダンススクエア vol.13 (HINODE MOOK 39)

 

 

 Love-tuneだけで12ページを割くという破格の待遇もさることながら、そのインタビュー内容について、発売直後からいろいろと聞こえてきた雑誌だったので、私もようやく落ち着いて読めるようになったこのタイミングで購入した。

 

一読すると、私のモヤモヤの原因の一端がようやく見えた気がした。

 

要は、Love-tuneには核(コア)が見えないのだ。

 

Love-tuneというユニットを端的に表すとすれば、「安井謙太郎の、安井謙太郎による、安井謙太郎のためのユニット」だろう。

それはユニット結成直後から「安井にとって初めてのユニット」ということを全面的に押し出していたところからも感じていたし、クリエ公演の本編最後で安井一人だけが挨拶をして締めるという構成から見ても、おそらくそう的外れではないと思っている。

 

一個人のためのユニットといえば、結成当初のNEWSや、中山優馬が参加した数々のユニットが思い浮かぶ。

事務所の前例としては決して異例ではないし、そういう売り出し方を否定するつもりはない。

 

それらのユニットにおいては、その一個人のカラー=ユニットのカラーだったという印象がある。

ここでいう一個人のカラーというのは、本人の趣味嗜好や性格などではなく、事務所が、もしくは社長がその一個人をどう売り出したいかという意味だ。

デビュー当初のNEWSでいえば、ユニットのイメージカラーは白やピンク、爽やかな王道アイドル。双璧だったKAT-TUNとは対照的だった。

中山優馬のユニットも、平均年齢が若く、その時々、その界隈の花形メンバーが選抜される華やかなユニットだったという印象がある。

私はどちらも外野から見ていたので、当時の該当担からすれば的外れかもしれないが、そこはご了承いただきたい。

 

翻ってLove-tuneはどうだろう。

本人達の言を借りれば、Love-tuneのコンセプトは「バンド×ダンス」という形式そのものであるらしい。


確かに純粋にダンスだけで勝負をしようとすれば、現在のメンバーだけでは人数やスキル、チームワークの点でも心許ないように感じる。
現時点で森田のもう一つのユニットであるTravis Japanや、アクロバットもこなすSnowMan、かつての舞台組の代名詞であるM.A.D.の流れを汲むThey武道やMADEなどとの真っ向勝負は厳しいだろう。


バンド形式については、かつてJr.にも二組のバンドが存在したが、メンバーの大半が退所し、その後は特に固定のバンドは組まれないまま現在に至るため、一種の隙間産業ではある。


ただしそれはあくまでも、デビュー組のバックにつくなら、という前提がある。
もしもバンド単独での活動を目指すのであれば、かつての二組のように定期的にライブハウスで単独ライブを行うこともできるだろうが、事務所にはそのノウハウはあまりないようなので期待はできない。

また、ライブハウスでは彼らのもう一つの柱であるダンスが存分に活かせない点を考えても、現実的な案ではないだろう。

 

だからこそ、どちらかに特化するのではなく、二本柱の両立を目指すのは決して悪手ではない。

どっちつかずになってしまっては本末転倒だが、「ダンスだけでここまで来た」と言う森田と、大学で音楽理論を専攻している萩谷*1がそれぞれの柱の中心となっている体制は、非常にバランスが良いと感じる。

 

真田のパフォーマンスに関しては、他のメンバーは口を揃えて「爆発力」や「エネルギー」などの単語を挙げている。
かつてnoonboyzとして活動していた頃の本人の言にこんなものがある。

オレと野澤って『電車と信号』みたいな関係。オレがガーッと走ってるとき、あいつがいい感じにブレーキをかけてくれるんだよ。オレは突っ走るところがあるから、逆にあいつには常に余裕を持っていてほしいんだよね。*2

この攻めの姿勢は、ユニットが変わっても日和る気配はないようだ。

 

では安井に関してだが、ここでも他のメンバーから出る評はほぼ同じだった。

「ジャニーズスペック」

「一番ジャニーズらしい」

「ジャニーズとしての自覚が誰よりも強い」

 ここまで揃うと少々不気味な気もするが、要は「Love-tuneがどんな演出をしてもジャニーズとして成立できるのは、安井謙太郎がいるからである」というのが、メンバーの総意であるらしい。

 

ここで一つの疑問が生まれた。

 

Love-tuneが言うところの「ジャニーズらしさ」、「Love-tuneにおいて安井謙太郎が担う役割」とは一体何なのだろうか。


俳優業やアーティスティックな活動においては、「ジャニーズっぽくない」という言葉が褒め言葉として使われることがある。

例を挙げると、堂本剛の宗教活動にも似た哲学的な音楽や説話。

岡田准一生田斗真風間俊介などの確かな演技力。

TOKIOなどは楽器を持っても鍬や鎌を持ってもジャニーズっぽくないと言われるので、そもそもTOKIOがジャニーズっぽく見える時はあるのだろうかという新たな疑問に直面しそうになるが、それはいったん置いておく。

このように、肯定的な意味で使われる「ジャニーズっぽくない」に対して、「ジャニーズっぽい」とはどんなものを指すのだろうか。


では「ジャニーズっぽい人」と言われた時、数多の所属タレントの中で誰を思い浮べるだろうか。

 

ジャニーズ筆頭の近藤真彦

Mr.ストイック・東山紀之

一時代を築いたSMAP、嵐。

ステージに棲む王子様・堂本光一滝沢秀明

はたまた各ユニットでセンターを張る面々……亀梨和也山田涼介など。

 

彼らはいずれも、世間一般からジャニーズとして個人名で認識されているメンバーである。

しかし彼ら全員に共通する項目を挙げろと言われれば、同じ事務所に所属していること以外を挙げるのはなかなか難しいのではないだろうか。

既婚者もいれば独身貴族もいるし、得意とするパフォーマンスも異なる。

テレビの露出が多い人もいれば、一年の大半を板の上か自宅に引きこもっている人もいる。

 

少なくとも私は今、思いつくままに挙げたこのメンバーにはっきりと明記できる共通点を見出せてはいない。

しかしもし、曖昧で定義できない精神的なものを共通点と呼ぶことが許されるのであれば、少なくとも個人名を挙げたメンバーについていえば、「アイドルとして生き、アイドルとして死ぬ覚悟がありそうな人」ではないかと思う。

 

アイドルとしての定義にまで話を広げると収拾がつかなくなるので割愛するが、この「覚悟」こそが「ジャニーズっぽさ」であるとするなら、安井の背負うものはずいぶんと重く、そして得体が知れない。

 

ダンス、音楽、芝居と、それぞれが得意分野に特化しているが故に、時としてジャニーズらしさから逸脱するメンバーは、頼もしくもあり、危うさもある諸刃の剣であろう。

 

だからこそ、生まれたてのこのユニットには核が大切なのだ。

 

各種のパフォーマンスを極めようとすれば、どうしてもアイドルらしさが損なわれる場面も出てくるだろう。

そんな時にジャニーズとしてのユニットの核が揺らげば、あっという間にバラバラになってしまう危険性を孕んでいる。

そんな場面は、今までに何度も遭遇してきたし、そう何度も目にしたいものではない。

 

他の記事で「俺は楽器が弾けないからボーカル」と、自虐なのか本気なのか分からないコメントもしていたが、目下ユニット内で安井が役割はボーカルというよりもMCのようなので、それを強化していくのか、あるいは他の強みを見つけるのかで、今後のユニット自体の方向性も変わってくることだろう。

 

繰り返すが、現時点でのLove-tuneが「安井謙太郎の、安井謙太郎による、安井謙太郎のためのユニット」である以上、彼のカラーがそのままLove-tuneのカラーになり、彼の生き様がそのままLove-tuneの核になるのだ。

 

その核を素直に応援できるか見極められるまで、もう暫く常時担降り先を吟味しながら真田担でいようと思う。

*1:同じ大学の先輩にあたる真田の専攻は映画などの映像。

*2:WinkUP 2012年11月号