片足で関西Jr.を行き来してきたヲタクの戯言
いよいよ自担の初主演舞台「TABU」の幕が開き、入れ替わるようにジャニーズWESTのパリピポツアーが間もなくオーラスを迎え、ついでに東西を悲鳴と歓声と阿鼻叫喚で混沌とさせてくれたキンプリ結成発表間もないこのタイミング。
この最高に空気の読めないタイミングで、最近の流行りに乗って、自分と関西Jr.(便宜上ジャニーズWESTも含む)の話なんてしてみようかなと思います。
どうしても思い出話が中心になるので話がバド濱に偏ったり、辞めた子についてもどうしても触れることもあり、ところどころ情緒不安定になることもあるかと思いますが、さらっと読み流して頂ければ幸いです。
タイトルに「行き来」と入れたのは、私が実質関西に関しては出戻りだからです。
ジャニーズ自体もそこそこ長いブランクを経て出戻ったヲタクですが、その中でも関西はまるっと全く触れずにいた期間が数年間ありました。
そのため、最近ジャニーズWESTにハマったという方のブログ等でよく見受けられる「食わず嫌い」ではなく、「一度食べてみたけどやっぱり合わなくて食べなくなった」というのが、私にとっての関西Jr.でした。
私が初めて関西Jr.のホーム(もしくは牢獄)・松竹座へと足を踏み入れたのは2007年の夏でした。
当時の私は某辞めジュのバンドマン担で、それ以前は担当こそ名乗っていなかったものの実質藤ヶ谷担であり、副担的な存在として桐山照史くんがお気に入りでした。
当時の担当もバンドでボーカルを担当するくらいですから歌唱力は抜群でしたし、そもそもジャニーズに出戻る以前からビーイング系列のバンドを好んで聴く、所謂声フェチの気のある私にとって、あの「渋谷すばるが認めた」*1歌唱力の持ち主である照史くんはとても気になる存在でした。
さらに言えば、現在の担当(真田佑馬くん)を見れば分かるように、骨太な体型もとても好みです。
プロ野球選手はセ・リーグ体型(どっしり安産型が多い)よりパ・リーグ体型(細身で引き締まった体型が多い)、格闘技は軽量級が良いと熱く語るボディフェチとしましては、アイドルは身長が175cmくらいまでは骨太、それ以上になれば引き締まった細マッチョ体型がシルエットが綺麗で衣装映えも(以下略)
それはさておき。
当時はまだYou&Jが健在であり、一つの名義で3ユニットのFC枠を申し込めるという利便性を大いに生かして関ジャニ∞のツアーなどにも足を運んでいました。
その中でもやはり気になるのは照史くんでしたから、関西Jr.だけのステージをとても楽しみにしていました。
そしていざ始まってみると……
とにかく姦しい
これに尽きました。
歌やダンスはもちろんのこと、トークやMCも、とにかく何でも詰め込んだ!という感じで、怒涛の流れに圧倒されているうちに終っていた……というのが全体的な印象でした。
当時は私もそこまで関西Jr.に詳しくなかったので、雑誌でよく見る顔ぶれくらいしか判別できず、バルコニーからお手振りをくれたメンバーの名前すら分からないという体たらくでした。*2
そんな私の記憶なのであまりあてにはならないのですが、当時の関西Jr.はB.A.D.(二人)とBOYS(四人)が少し前までのなにわ皇子とKinKan的なポジション……つまり最前線のメディア露出の中心であり、その後ろに長老勢(後のVeteranの年長組)が控えており、時期的にはこの前後にOSSANが結成されたりTop Kidsがいたりムエタイ向井ブラザーズがいたりして、康二くんと真鳥くん辺りがショタ枠で可愛がられていた……そんな情勢でした。
その頃の私が今のジャニーズWESTのメンバーに抱いていた印象も、今とはずいぶん違っていました。
照史くん・・・血の気の多い子、打倒東京の急先鋒、関西の不動のエース
淳太くん・・・大人しい優等生、照史くんに比べるとスキルに難あり?
濱田くん・・・相方のストッパー、農家の子、西のA.B.C.*3
流星くん・・・トプキの子、優馬のシンメ*4
神山くん・・・トプキの子
小瀧くんはたぶん入所前?だと思いますが、重岡くんが本気で記憶になくて土下座ものです。
何せトプキやこじまとを覚えていたのが奇跡というレベルでショタに興味がなくて…。
あの頃、照史くんは当時の濱ちゃんの相方と共に、関西の起爆剤というか鉄砲玉というか、とにかく最前線で「東京には負けへんで!」と気を吐いていたイメージが強く残っています。
といっても、例えばKis-My-Ft2やA.B.C.のメンバーとは連絡先を交換してやり取りも多かったようですし、単純に敵視していたというよりは、似たような境遇に置かれた者同士、良きライバル関係であったのだと思います。
ちょうどこの松竹座の直後の9月にHey!Say!JUMP!が結成され、「昭和でShowは無理」と全面的な昭和disで昭和生まれのJr.やヲタクのメンタルをズッタズタにしてくれた頃でしたから、現在各所のファンがキンプリに複雑な視線を向けているように、当時は崖っぷちの年長Jr.(のファン)にとっての仮想ライバルはHey!Say!JUMP!(もしくはその前身の各ユニット)でした。
当時照史くんは18歳。今の小瀧くんや、Jr.でいえば紫耀くんや大吾くんと同い年。
もちろん年長組もいましたが、どちらかといえば温和で温厚、前に立って引っ張っていくタイプではなかった彼らに代わり、当時からB.A.D.とBOYSがセンターに立ち、場を仕切っていました。
まだまだ高校生ノリが抜けない彼らが中心となっていたせいもあるのかもしれませんが、演出もノリと勢い重視で、当時すでに成人済みの社会人だった私には苦笑するしかない場面も多々ありました。
その中でも特に気になったのが、カレーの早食い対決。
今年の春松竹でもたこ焼きの早食い対決をしていましたから、もはや関西では伝統芸なのかもしれませんが、何せものはカレーです。飛び散るやら吹き出すやらの大惨事で、「食べ物で遊んではいけません」と教わって育った身としては眉を顰めるしかないコーナーでした。
そんな大惨事を吹っ飛ばす勢いで出オチだったのが、ボクサーの出で立ちにキティちゃんの耳を付け、お腹にマジックで「たいがー」と書いて登場した関西の最終兵器・浜中文一くんだったことは、ただの余談です。
多少のもやもやを残しつつも、やっぱり照史くんの声量と歌唱力半端ないな……と思いながら夏も過ぎ、翌2008年のお正月。私は担当目当てで内くんのあけおめコンを見に行きました。
当然、バックには関西Jr.。
当時の自ユニはバンドでしたし、本人達の人見知りの気性もあったのかMCには参加せず、内くん本人もよく喋る関西の面々に進行を任せてセットの階段に腰かけてまったりしていました。
そんな中、お正月ということでステージ上に持ち込まれたのがお餅でした。
お餅。確かきな粉餅でした。醤油と海苔のもあったかな……とりあえずお皿に入ったお餅とお箸が運ばれてきました。
最初は内くんにあーんして、内くんも文句を言いつつ食べてあげて、それに対して客席からはお約束の「ちょーだーい!」という声も飛んでいたかもしれません。
正直、私は自担まだかなーと半分意識を飛ばしていたので、その辺の下りはあまり覚えていませんが。
しかしそこで、私の意識を強制的に引き戻す出来事が起こりました。
もはや誰がやったかは記憶にありませんが、内くんに食べさせたお餅を箸で摘んだまま、客席に向かって一言。
「内くんの食べかけの餅、いる人ー!」
……は?
当然、客席からは声が飛びます。もしかしたら私と同じように固まっている人やドン引きしている人もいたかもしれませんが、おそらくステージの上からは盛り上がっているように見えたのでしょう。
そして前列で手を上げていた人に、そのお餅を食べさせたんです。
あ。これもう、私には関西Jr.無理だわ。
そう思った瞬間でした。
さらにステージ上に零したきな粉を床の装置の隙間から落とすというダメ押しも喰らったのですが、とにかく、私が関西Jr.を完全に拒絶したのはその瞬間でした。
それからの数年間は、少クラなどで関西Jr.が出て来てもスルーしていましたし、当然新しい子達が出ててきても覚えることもなく、優馬くんが一人選抜された時も完全に対岸の火事の気持ちでいたので関西の情勢には全く疎くなっていました。
その間に、自担の退所による強制担降りで二階堂担になり、Kis-My-Ft2のデビューを見届けて格差にキレ、「少年たち」がきっかけで真田担に降りたりと目まぐるしくも東のJr.担としてヲタクを続けていました。
並行して、周りではSexy Zoneに担降りする人が多く、私もCDやDVDを買ったりしていたので、関西に佐藤勝利担のショタがいる、程度の認識はありました。
そんな時、Jr.界隈でいろいろ話題になるJr.がいました。
久しぶりの名古屋Jr.で、めっちゃ綺麗な顔で、めっちゃダンスも上手くて、なのに規格外のぶっとび天然ボケがいると。
そうです。平野紫耀、その人です。
気になったら調べましょうということで、BSフジが見られる環境にあったので早速見てみたら、
「ムエタイの弟めっちゃ大きくなってる!」
「てか相方めっちゃ美人やしツッコミ上手いし!」
ものの見事にKinKanに堕ちました。
さらに定期圏内なのをいいことにあほすきにも通いまくり、ますます麗しのツッコミ担当に恋をしたわけですが結果は聞くな聞くな聞かないでくれ(頭を抱える)
ちなみに重岡くんについては、関西ローカル番組のレギュラーを村上さんから引き継いだ時にチラ見したんですが、その時の印象は「顔が可愛いだけの子が、村上さんの代わりなんかできるんかな…」でした。
だって!その時はまだ!重岡も猫被ってたし!ゲスとか知らなかったし!
さて。紫耀くんをきっかけに再び関西に片足を突っ込んだわけですが、ジャニーズWESTのデビューに関しては…(ツイログを見返す)びっくりするくらい冷めてますね。
当時はようやくなにきんに興味を持ち始めたばかりで、WESTメンバーまで目が向いていなかったようです。
ノンコタニシにも興味はなかったけど、「関西Jr.に、遠征先のホテルのベッドをくっつけて一緒に寝ようとする奴がいる」ということだけは把握していたり、結構ちぐはぐに情報は持っていたのですが…。
だから私が本格的にジャニーズWESTに興味を持ち始めたのは、まいじゃにでお手紙を読んでみんなで号泣した辺りからなんですよね、実は。
あれは良い回でした。かつて東で行われていたJr.リーダー継承式を思い出して、ぐっとくるものがありました。
そしてそこからさらに小瀧くんゲスト回で、相変わらずむちゃくちゃな距離の詰め方をする廉ちゃんや、同級生トリオのやり取りが可愛いなーとほっこりするわけですよ。同級生…トリオ…(咽び泣き)
そんな感じでなにきん経由でWEST沼に足を踏み入れた私は、片っ端からCDやDVDを集め始め、お友達のご厚意で忍ジャニの舞台挨拶にも連れて行って頂いたりと、急速にWESTを摂取し始めました。
その中でも特に印象に残っているのが、「えぇじゃないか」のPVのメイキング映像の1シーン。
メンバーがカメラに向かって個別に歌うシーンを順番に撮影している最中に、重岡くんが冗談交じりで零した一言「俺この仕事向いてへんわー」に対する照史くんの「あなたが一番向いてるからやめんといて」でした。
私の中に残っている18歳くらいの照史くんは、関西では絶対誰にも負けへん!東にも勝つ!みたいな、ギラギラとした闘争心が前面に出ていた子でした。
だから正直、WESTのセンターが重岡くんだと聞いた時も、複雑な気持ちでした。
数年間、関西を全く視界に入れていなかった私の中には、B.A.D.から優馬くん、そして重岡くんへとセンターが入れ替わっていった時代が全くないからです。
でも数年ぶりにまともに見た照史くんは、重岡くんを「うちのセンター」と呼ぶ良き兄貴分になっていました。
ユニットの中で、センターではない自分だけのポジションをすでに確立していたのです。
照史くんだけではありません。
昔はどこか下がりがちな印象があった淳太くんも、ツッコミ、セレブキャラ、最年長など、自分なりのキャラや武器を身につけ、ブレインとして絶対無二の存在になっていました。
社長が役者としての道を歩ませようとしていたとも聞く濱田くんが年齢順で二番目に位置していることが、実は結構重要なのではないかと思っています。
と言いますのも、ユニット内の次男(多人数ユニットの場合は三男辺り)枠は、癒し系だったり緩衝剤だったりと、最年長やセンターやリーダーでは務まらない役を担うことが多いからです。
一例を挙げるなら、V6における長野さん(二番目)、嵐の櫻井さん(二番目)、Hey!Say!JUMP!の伊野尾くん(三番目)、Kis-My-Ft2の横尾くん(二番目)などがそれにあたります。
世間に見つかるまでには時間がかかるかもしれない。ファンからすればユニット内での立ち位置や扱いに不満を感じることもあるかもしれない。
でも少なくともメンバーからは絶対不可欠だと思われる、濱田くんもそういう存在なんじゃないかなと、WESTを見ていて思います。
もちろん、本人達があくまで「7人」に拘ったように、メンバー全員、誰一人として欠かすことのできない存在であることは間違いありません。
弟組の話もし始めると長くなるので、それはまた今度。
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私の中の関西には、空白の7年間があります。
これは例え雑誌や映像を遡ったとしても、埋められるものではありません。
なぜならそこには「熱」がないからです。
現場でしか感じられない熱もそうですし、茶の間からの熱もあります。
そういったメンバーやファンから発せられる熱の昇降や質は、リアルタイムでしか体感できないものだからです。
今、私が心地よく感じ、惹かれているのは、今のジャニーズWESTが発する熱です。
ギラギラと必死だった頃の灼熱でもなく、絶望に打ちひしがれた時の冷たさでもなく、それら全てを経験してきたからこそ発することのできる、ファンを包み込んでくれる温かさ。
それをぬるま湯だと感じる人もいるかもしれません。
なぜならその人は、灼熱の時代を知っているから。
必死にならないと消されてしまうと、本人達もファンも感じていた時代を知っているから不安になるのかもしれません。
でも今のジャニーズWESTだからこそ、関西に対して食わず嫌いだった人達が惹き付けられて、今のジャニーズWESTだからこそ、一度離れた私のような人間が戻ってきたりもするから、ヲタクはおもしろいんだと思います。
私が関西に出戻るきっかけになったものはもうほとんど形は残っていないけれど、そのおかげで再び巡り会うことができた彼らのことを、もう少し見ていたいと思います。